貴方の怒りはそんなもんなのかミュウツー

ミュウツーの逆襲EVOLUTIONを観た感想ですが、あまり楽しめなかったという話をしているだけなので、この映画が楽しかった人やこれから観る人、ポケモンが好きな人は読まない方が良いと思います。

 

本当に読まない方がいいです。時間をドブに捨てるだけです。いますぐ画面上のバツを押して閉じてこの記事のことは忘れてください。


そんならなんで公開したんだよゲボカスという意見もあるとは思いますが、どうしても誰かに言いたかったのです。

チラシの裏を全世界に発信するのもどうかと思いますが、誰がこの映画を楽しんだのか/これから楽しむのかは分からないので友達に言うわけにもいきませんでした。

なので、繰り返しになりますが、映画を楽しんだ人や観る予定がある人、ポケモンが好きな人は読まないでください。この文章がポケモンアンチの糧になると思うとうーんという感じですが、それで幸せになれる人がいるならもうそれでいいです。
ただただ誰かに聞いて欲しいだけで、あなたを傷つけたくはないのです。

 

あと自分語りから始まるので自分語りが嫌いな人もやめといた方がいいよ。

 

 

ポケモンが好きだ。
ポケモンのデザインと世界観が好きだ。強くて可愛くてかっこよくて頼りになって、どんな時もきっと一緒にいてくれる彼らと一緒に生活するのに憧れている。

生物科学が好きな私にとって、生物の魅力的で神秘的なところは強調しつつ、生物の生物らしい悲惨さを曖昧に隠してくれるポケモンは救いみたいなものである。

リアル志向ではあるが、悲しいことは少ない方がいい。

 

しかし、私のポケモンの知識はほぼゼロといってもいいくらいである。
父親がゲームやアニメ、漫画といったもの全般を毛嫌いしていたせいで、子どものころからポケモンの一切に触れてこなかった。
初めてポケモンに触れられたのはポケモンGOで、据え置きは未だ1本もやったことがない。
しかし、ストーリーゲームが好きなので、ポケモンはシナリオも良いという話を聞いて勝手に期待している。やっと親の支配から少しは逃れられるようになったので、この秋発売される剣盾は絶対に買おうと思っている。やっと私だけの冒険が始まるのだ。やっと私だけの相棒に出会える日が来る。実家を離れられて本当によかった。
なお親の目を盗んで観られる映画にはたまに行っていて、そこでサトシやピカチュウといった仲間たちや、数多くのポケモンが動き回る世界を目にしては憧れていた。ポケモンの知識がゼロでもちゃんと説明してくれて分かりやすく話を進めてくれるポケモンの映画はいつ観てもすごいし、とても楽しめる。

なので、今回も本当に期待して行ったのだ。

とりあえず私は、ポケモンのデザインが好きでポケモンの世界観が好きで、映画が公開されればどれだけやることがあろうと観に行くだけの、まあ言わばニワカというやつだ。今までの歴史は何も知らない。良い意味でも悪い意味でもまっさらな状態と言えるだろう。


先にも言った通りポケモンの映画はいつも楽しく観ていたので、今回もそれはもう期待していた。今回の映画はリメイクだがオリジナル版を観たことはない。今まで映画ポケモンは知識ゼロの人にも優しかったので、それでも楽しめると思っていた。


ここからレポみたいなものが始まりますが一回見ただけの記憶を頼りに書いているので違う可能性が十分にあります。

 

 

ミュウツーが研究所で目覚めるところから映画は始まる。
ミュウの睫毛の化石?から遺伝子を取り出し、より強くすることだけを目的に造られた(らしい)ことが研究者により語られる。
ミュウツーは、私はなんなのだ?と自我の揺らぎを得て、勝手に産み落としておいて拘束してくる研究者にキレる。
研究者の目的は「強いポケモンを作ること」だったらしいけど、造りだしてからそれをどうしたいのかは不明。

人造生命ものが好きなのだが、この辺でちょっとモヤモヤする。

人間が目的も持たずに強いポケモンを生み出そうなんてするはずがない。これはちょうどよく登場したボスの命令で作られていたのかな?そもそも自律した思考をもつものを生み出すなら、用意しておくべきことやモノが山ほどあるはずでもある。
ミュウツーがどうなりたいのかも不明(どうなりたいというビジョンを抱くにも至らず、ただ自分が分からなくて暴れていた?)。
爆発炎上する研究所にサカキが現れ、「お前と同じくらい強いのが人間だ」「この地球を壊したいわけではなかろう、その力は制御されなければならない」みたいなことを言う。

ミュウツーはそれに従って、力を抑制するための鎧を纏う。「アーマード・ミュウツー」というやつである。これがはちゃめちゃにカッコいい。
そして、力を制御、拘束具、サカキに従う、というあたりでだいぶ予想がついてきた。

なるほど、つまり自我をいまだにはっきりと得ないままサカキという悪役の手に落ちたミュウツーロケット団の元で武器として使われるが、サトシと話したり戦ったりしてなんだかんだあって考えを改め、自分の意志で悪事を清算するんだな、と。全然違った。
サカキが不用意にも「所詮ポケモンは人間のために生きるもの」というように口を滑らせ、ミュウツーはまたブチギレて拘束っぽかった鎧をいとも簡単に破壊しロケット団ビルは爆散。爆発のペースが早い。


そんなこんなでミュウツーは鎧を脱ぎ捨てながら飛び去り、ある孤島に降り立つ。アーマードミュウツーをもっと見ていたかったので心底ガッカリした。最後にヘルメットを脱ぎ捨てたのは非常にカッコよかったけど。

それでこの辺かな?なぜ産んだ、産んでくれなんて頼んじゃいない(ここにはすごく共感する)と怒りに震えるミュウツー。わたしを造った人間たちへの、これは逆襲である——みたいなタイトル直前のセリフがとても格好良かった。
人造生命ものが好きだし、生命が自己の存在に悩んだり、コピーとして造られたものがオリジナルへ複雑な感情を抱いたりといったテーマも好きなので、これをいかに解決するのかに期待が高まる。まあポケモンだし絆的な奴だろうなと思いつつも、どうドラマを展開するのかとてもワクワクした。

 

そしてサトシ、カスミ、タケシとポケモンたち登場。昼の用意も手伝わないでバトルはするサトシにも割と引いたけど、バトルに勝って喜ぶサトシにカスミが「相手が弱かっただけよ」と言うのもなかなか怖かった。えっ、そんなこと言うんだ……容赦がない……強くないトレーナーの言うこと一個も耳に入れなさそう……そんなこんなでサトシ達はミュウツーに招待される。
なお洗脳を受けていたジョーイさんのデザインがすごく好き。衣装も佇まいも綺麗で似合っていたし、あのヘッドドレスみたいなのもとても可愛かった。脱いでしまって残念である。

 

ポケモンと人間が一緒に生きている日常シーンが最も好きなので、モブポケモンがいっぱいわちゃわちゃしていた港のポケセンのシーンがとてもよかった。

名探偵ピカチュウの時も思ったけど、色んなポケモンがこのCGで動き回ったり自然の中や人間と一緒に生きているだけの映像を延々と観ていたい。それだけでいい。それだけがいい。

 

どうでもいいところだとは思うけど、やっぱりポケモンの鳴き声がポケモンの名前まんまなの引っかかる。

ピカチュウは鳴き声っぽい名前だからいいのであって、フシギダネがダネフシーとか言うたびに違和感で映画に集中できなくなってしまう。あとヒトデマンの鳴き声は本当に何?無駄にイケボだし ヒトデマンのシーン自体はすごいかっこよかった

 

なんやかんやあって招かれたミュウツーの城(デザインがとても良い)でミュウツーの考えが語られる。

わりと紳士的にバトルフィールドを用意してくれていたものの、ミュウツーの造った御三家の「コピー」にそれぞれのオリジナルは呆気なく敗れてしまう。

「パワーもスピードも段違い」で。
ちなみにコピーリザードンシマシマ、キメラマウスでもイメージしてるのかなと思ってワクワクした。他のコピーもちょっとずつ違うのかなって思ったらそんなことはなかった

 

そしてミュウツーボールの脅威。ほかのポケモンが吸い込まれていくのを見てるんだから、ボールに入れることくらいすぐ思いついてくれ……!そしてカスミがリュックに入れてたトゲピーは無事なんだからボールに入れた上でトレーナーが抱え込んどきゃよかったでしょうが!!それならトレーナーごと拉致されたとしてもとりあえず離れ離れにはならなかったでしょうが!!ボールの速さについていけないなら頭を!使え!

 

 

なんやかんやでポケモンたちと再会し、ミュウツーのもとに戻ってきてブチギレるサトシ。

お前なんか絶対に許さない!と啖呵を切るけど、いやミュウツーそんなに悪いことしてる……?!

拉致といってもコピーされただけで、そのコピーのために体毛を数本持っていかれただけで、みんな無事だし帰ってきたじゃん……?

なんならサトシが解放したみたいな空気だけどボールはコピーのための体毛採取が済んで自然に開いたような感じだったし、ミュウツーは別にオリジナルを殺すとか言ってるわけじゃないし、人間(トレーナー)たちに対しても「嵐の中帰れるもんなら帰ってみろ」って言っただけで殺そうとすらしてない。

 

ミュウツーを悪役にはしたくないがサトシやオリジナルと衝突はさせたいというのだけが分かったけど、シナリオにどうしても納得できなくてキツかった。

 

で、コピーしつつもオリジナルを超える能力を持つポケモンを作るのだ!というミュウツーの目的が分かる。

それでどうするのか言ってたかな……?言ってたかもしれないけど忘れた。ミュウツーが「オリジナルには負けない!」的なこと言ってミュウに襲いかかり、その下でオリジナルとコピー達も流れで闘い出す。
この時点でミュウツーが何をしたいのかも分からず、なんならミュウがなぜ姿を見せたのかも分からず、この戦いの意味が分からなくてだいぶ置いていかれてしまう。
傍観してる人間や一部のポケモンは戦う意味がないことを分かっており、「こんなの意味がない、痛いし」「みんな今は生きているいきものなんだ」とこの映画のアンサーっぽいことを地上でつぶやくが、もちろん空の上でミュウと激突してるミュウツーには届いていない。少なくともその描写はない。

 

御三家の闘いがあったのでコピー達がオリジナルに圧勝するのかと思いきや、なぜかコピーとオリジナルはそれぞれ同程度に消耗して相討ちに。

まあだいぶ即席だしな……生後数分だしな……と自分を納得させながら観ていたが、これがすごく長い。ずーっと苦しそうに自分と殴り合うポケモン達が映る。

見ててとてもしんどかった。サトシは闘いを止めようとするが、その手は届かない。というか、サトシはここまででだいぶ人知れず大立ち回りを繰り広げてきて満身創痍、一歩も動けない感じだった。

 


最終的にポケモンたちが疲れ果て倒れ伏し、ミュウとミュウツーが降りてきてビームを撃ち合う。

 

そこに全くの無策で飛び込むサトシ。

 

一番のツッコミどころである。

サトシがマサラ人でポケモンの技を生身で受ける超人なのは風の噂(ツイッター)で知っていたが、それにしたって限度はある。地球最強の両雄の激突に、しかもまったく何も考えずに飛び込むのは愚策でしかない。

何か策や勝算があって行動する主人公が好きだし、納得できるストーリーが好きなので、これには目を疑った。


当然死ぬ。というか、なんか金属製のような質感の何かになる。炭化したのかな?そもそも形が残ってる時点で充分に超人である。
ああ〜死んだなぁと思った時点で嫌な予感はしていた。そのあとのタメが長すぎる。これは絶対に合理的な蘇生はしてもらえない。

それを黙って見てるミュウツーも引っかかる。

ミュウツーの考えがいかに変わったかが気になって仕方ないのに、サトシを蘇生させようと頑張るピカチュウを延々と見続ける時間が続く。

そもそもボロボロのサトシが走ってくるのくらい見えてたはずなのにミュウツーはもちろんミュウも何もしなかったんですね……


サトシが帰ってこないと分かったピカチュウが呆然と泣き出す。演技がすごいうまい。ストーリーに完全に置いていかれて冷めていなければ泣いていたかもしれない。映像だけでちゃんと悲しい。

ピカチュウの涙に引きずられてポケモンたちも泣き出す。そのみんなの涙がサトシの体に吸い込まれ、謎にサトシは復活する。


この辺でめでたしめでたしクライマックス感が出て、とうとう私は頭を抱えてしまった。ミュウツーの話じゃなかったのかよ。映画館で頭を抱えたのは初めての体験だった。

 

サトシ復活祭の最中ミュウツーも、「確かにみんな今は生きている」みたいなこと言って納得して(この考えに触れた描写がなくて違和感がすごい)、コピー達とともにミュウツー城を飛び去る。

この世界のどこかで生きていく、と言い残し、彼らはミュウツーの原風景であるミュウの故郷?に向かう。遺伝子操作生物の環境への流出、遺伝子汚染、生命倫理、などいくつかの単語が頭をよぎる。いやファンタジーなのは分かってるんですけど

 

 

エンディングはよかった。小林幸子が耳を幸せにしてくれた。アートボードも全部よかった。これがこのまま映画のワンカットならなと思った。

 

 

こうして書き出してみるとあまり伝わらないとは思う。

現にいいところはたくさんあった。そりゃポケモンの映画なんだから良いに決まってはいるのだ。私が一番期待していた、互いを大事に想い合うポケモンとトレーナーの関係もたくさん見られたし、ポケモンのバトルもよく動いていてカッコよく、何よりポケモンそのものにとてもリアリティがあってずっと見ていたいクオリティだった。


でも観ていてしんどかった。

とにかく疲れた。勝手に期待してなんだが失望したし落ち込んだ。何を見せられたんだ私はとすら思った。

最初の方でも言ったが、ミュウツーという人のエゴに造られた生命が、いかに自分を、生きる意味を見つけるのかが観られると思っていた。

 

ミュウツーの怒りは私の怒りでもある。

なんなら地球の遍く全生命体は自分のことを産んでくれなんて誰も頼んでない。勝手に交尾され、発生させられて産み落とされる。

家庭なんかで色々あって、出産という虐待に晒される命はたくさんあるだろう。

そんな生命の誕生という言ってしまえば暴力的な現象に怒りを抱いて、自分が生きている理由に戸惑って、あと自分が最強である事実に矛盾するオリジナルという存在に苛立っているのがミュウツーなんじゃないかと、映画を観ての印象でしかないが、私はそう感じたのだ。

そんなミュウツーの怒りはそうそう解決されないと思っていた。

そもそも私がきちんと捉えられていないところもあると思うけど、ミュウツーにはっきりと怒りを向ける先を抱かせていないようにも感じたので、よりミュウツーのモヤモヤは晴れづらそうだった。

それが、サトシの謎の飛び出しと御涙頂戴(物理)と復活で急にスッと納得して、舞台装置として終わりを綺麗に締めくくってしまった。

期待していたテーマが大きすぎたんだろうと思うけれど、提示された問題が多かったからこそのことだと思う。

悲しいことは少ない方がいいしハッピーエンドのポケモンを愛しているけど、悲しいことがないと喜びもないし、何も解決しないのはハッピーエンドではない。

 

最初の方は「どうせポケモンと人間の絆に胸をうたれて改心とかでしょ、主人公堕ちでしょ」と思っていたけどもはやその方がマシだった。

お決まりの展開ってそれなりに筋が通る最強の展開だからこそ多く使われるんだなって痛感した。

大きな意味で言えばそうなのかもしらんけどせめて話せ、言葉を交わしてくれ。問題とその解決が結びつかなさすぎてひとつも納得できず、終わるまでずっと苦しい時間だった。

 

ミュウツーの怒りが、本当にこれで晴れたとでも思えばよかったんだろうか。

 

 

エンドロールのあと、疲れとモヤモヤを抱えながらいち早く劇場を出て行こうとした私の耳に、斜め後ろに座っていた小さな男の子の声が届いた。

 

「とっても面白かったー!」

 

ちょっと泣きそうになった。要するに私はポケモンの、少なくとも今回の映画のターゲットではなかっただけの話なのだ。

歳をとって、もしくは色々なコンテンツに触れることで楽しめなくなってしまったのなら、大きくなんてならなきゃよかったと思う。

 

 

私もこの映画を楽しみたかった。
とりあえず無策な主人公はこれからも絶対に好きになれない。

 


傷つけてしまったとしたらごめんなさい。繰り返しますが私の舌には合わなかっただけです。